はたらくということ

働くとは、仕事とは、他人に向けるものだと、最近つくづく思います。

 

僕らみたいなゆとり世代といわれる世代は基本的にマイペースであり、働くという社会的な部分まで、自分の範疇にまで持ってこようとします。やれ賃金だ、労働時間だ、自分のやりたい事だ、と自分の好みで、自分の利益で、仕事を選ぼうとします。それはある意味で「自分が損をしない」という賢い生き方なのかもしれません。しかし、「仕事」や「社会」が自分のサイクルだけで回っているとは到底思えません。他者との還元、利潤の交換で回っている仕組みである以上、それを無視して自分の中のみで完結する事が正しいとは思えないのです。

 

少し前に、芸人?のビートたけしさんが、ゆとり世代について物申す記事がありました。以下、抜粋。

 

「ゆとりにとって仕事とは!?」という議論では、ゲスト出演したゆとり世代の一般男性が「会社に縛られて拘束されるよりは、自分のやりたいように働いていく」と発言すると、たけしは「それは間違いだね。自分の好きなように仕事なんかできるワケない。仕事というのは社会が結びついて仕事というモノを編み出すもんであって…」とキッパリ反論。たけしは「一番好きな仕事に就くのが幸せとは思ってない。2番目に好きなことを仕事に選べるといいかな。それは客観的になれるから」と独自の仕事観も述べた。

 

2番目の職業に就くかは別として、すごく共感した部分でした。思うに、若者は、「仕事」という行為から直接的に幸福を抜き出そうとするのですね。自分のやりたいように、、、という言い草はそのまま基点が自分になっています。ビートたけしさんの言葉を借りると、それは「主観」です。しかし、本来、仕事というものは、「人に仕える事」。人の為に生まれた行為なんです。自分がステーキを食べてる姿を見て、喜び、お金を払ってくれる他者を見つけるのは中々難しい事なんじゃないでしょうか。サッカー選手や芸能人でさえ、表面的には自分を見てもらう事でお金が発生しますが、嫌でも「評価」や「選ばれる」といった他者を介する事情は発生するもので、それが満たせない人は業界から消えていきます。

 

誰だって自分の思うように生きたいと思います。誰だってルールに縛られたくないと思います。(縛られたいどMは無視)それでも、誰かが何かを我慢して作ったもの、自分ができうる事で間接的に幸福を受け取っていくのが、「社会」であり「仕事」ではないでしょうか。みんなが「仕事」を自分の為に行うのであれば、自分で畑を耕し、料理を作って、電気を起こし、家を建てて、お風呂を焚き、布を編んで、布団を作って寝ればいいと思います。たまに絵を描いて、飾ればいいんじゃないでしょうか。しかし、それらを全て自分で出来ないから、ひいては誰かにやってもらう事が特別だと感じられたから、「助け合い」という行為が生まれ、「対価」というものが発生し、「仕事」が生まれたのだと思います。

 

仕事が楽しくない方は、「自分のやりたいこと」ではなく、まずは「自分のできること」を探してみてはいかがでしょうか。できる事がないなら、まずはできる事を作ってみてはどうでしょうか。

「自分がやりたい」を押し通すなら、それが「誰の為になるか」を考えてみるのが良いと思います。やりたい、だけで完結するようなら仕事でやる必要がない気がします。家でやってください。「誰かのため」というのは少しおこがましいかもしれませんが、せめてベクトルは他者にも向けないととは思います。

 

僕自身もまだまだ上記のような事が全て実践できていない気はしますが、ここ何年かの意識としては確かに在ります。そして同時に同世代にそういう意識を持った方が少ない気もします。でもそれは、単に「自分勝手」とはまた違う気もするんです。「自己防衛」に近い気がします。最初に書いたような「自分が損をしない」という。

 

「働く」という行為、価値観がどんどん変わっていく中で、そういう意識だけは持ち続ければいいなあと思います。

 

野村